嗚呼、人生。

私は音楽大学を卒業し、フリー…ター..?ランス..?…フリースタイルでやらせてもらっています。22歳です。現在、ウィーンにいます。

電車で隣に座った知らない誰かの人生を勝手に想像したり、自分が他の選択をしたその先の人生に想いを巡らせたり、いろんな人の人生の話を聞いたりすることが大好きです。

正直、自分の人生を生きることに精一杯になってしまう世の中ではあるけれど、たまに他人の人生を思い描くように、他人の人生をのぞき見するように、面白がって読めるブログがあってもいいのかなと思い、始めました。

今回は私が音大を卒業後、就活をせずにワーホリを選んだ現在に至るまでの人生の話を書いてみようと思います。ブログという名の備忘録です。

小学1年生で立てた誓いと一世一代の神頼み

私は小学4年生の時に合奏部に入部し、フルートを始めました。

しかし、フルートとの最初の出会いは小学1年生の頃。

全校集会で集められた体育館の後方で合奏部が演奏をしていました。そこで目に入って来たのは最前列でキラキラと光るフルート。その可憐さに心奪われた私。そして、私と同じく、目に憧れと夢を溢れさせた友達が隣にいました。そんな小学1年生ふたりが4年後にフルートを一緒にやろうと誓いを立てます。

小学生の誓いは、それはとても強力な魔力のようで、4年間消えることはありませんでした。

月日が経ち、小学4年生になった私たちは合奏部に入部します。

今でこそ我儘なほどに自分の意見を主張してばかりですが、これまでの私は、姉が習っているからという理由で水泳を習ったり、エレクトーンを習ったりー。

どちらかというと自分の意見を主張することが苦手で、友達とご飯に行っても自分の食べたいものが言えず、みんなと一緒でいいやと自分を押し殺すタイプでした。

そのため、姉が入っていた運動部ではなく、合奏部に入りたいというのはとても勇気がいるものでした。夕食の支度をする母に、合奏部に入りたいと打ち明けた瞬間の緊張を今でも覚えており、そんな過去の自分を抱きしめてあげたくなります。

話を戻しまして、楽器決めの日。あらゆる楽器を吹く私たちを見て回る顧問の先生。私の手にはクラリネット。あの日ほど強く神に祈ったことはないでしょう。最後の最後で歯科矯正をしているからリード楽器は避けた方がいいのではと配慮の神でしょうか、フルートに決まりました。全ての神にとびきりのありがとうを念じました。

ここでひとつ言及しておくと”一緒にフルートをやろう”と誓った友達はフルートではなく違う楽器に興味を持ち、私たちの誓いはいつの日か”一緒に合奏部に入る”というものに変わっていました。

私の入部した合奏部は全国金賞を目指す熱のある部活で、とてもたくさんの経験をすることができました。

コンクールで駒を進めるごとに長距離のバス移動に、泊まりがけになることも多くありました。

”合わない人がいるのは当たり前。ただ同じ目標に向かって共に活動する仲間としてどのように関わっていけば円滑に物事が進むのか。”

”人数が多ければ多いほど人間は人任せになる。だからこそ視野を広げてできることを探す。”

”来た時よりも美しく”という習慣が叩き込まれたのも部活でした。

今考えると小学生にしては随分と大きく深い学びを得ていたようです。

そんな小学生時代、私は「音楽をやっている人はみんな音大生で、合奏部のみんなでこのまま音大に行くんだ」というとんでもない勘違いをしてました。そのため、なんと私は9歳から音大を目指していたことになります。

しかし、小学校で一緒に合奏部に入っていた同級生が中学生になるとテニス部やバドミントン部に入ったことに衝撃を受け、そこで初めて全員が音大に行くわけではないことを知るのでした。

”自分は特別だ”と思いたい痛々しくも眩しかった10代

中学校に入学する頃になると、”他の人と違うことがしたい”、”自分を特別だと思いたい”という中学生特有の感情にも突き動かされ、学区外の中学校へ進むことになります。

そこで出会ったのはマーチングです。3年間をマーチングに捧げ、人前で表現をする楽しさ、それまでの道のりの険しさ、自分の力を過信することの危うさなどを学び、さらにあらゆる力が身についた気がします。

小学生の頃以上に演奏の機会は多く、朝から晩までの練習に遠征など、家族以上に部活の仲間で過ごすことが多かったかもしれません。その分、生徒間の衝突など人間関係で悩むこともありましたが、子どもゆえの素直さにも救われ、部活以上の大きな経験ばかりの3年間でした。

そんな経験があったからこそ、”マーチングを続けられる県外の高校に入りたい”と一悶着あり、進路がなかなか決まらない秋口でした。特別に三者面談を設けていただき、涙涙の数日がありましたが、切り替えが早いのも私の長所かもしれません。

地元の高校に音大の指定校推薦の枠があると聞き、一気に狙いを切り替えました。

高校では一転、吹奏楽部はコンクールにあまり熱を入れておらず、今までのエネルギーとのギャップに戸惑い、苛立ちを覚えることもありましたが、”私は音大に行くんだ”と部活動の傍、朝練と昼練にエネルギーを注ぎ込みました。

音大に行く意味はあったのか

環境にも恵まれ、私はついに音大へ入学しました。

”大学は人生の夏休み”と聞いていた通り、有り余る時間と広がった行動範囲。特別勉強ができるわけではないのに、勉強が好きな私は自分の好きなことが学べることに舞い上がり、あらゆるものに手を出します。

たくさんの映画を観たり、本を読んだり、夜な夜な友達と家に集まったり、大学生の一人暮らしを謳歌しました。

そんな中、バイト先の店長に言われたひとことを紹介します。

「音大出て良かったって言ってる人、ひとりも見たことない」

音大生が多くアルバイトする飲食店とはいえ、ごくわずか、限られた音大生としか関わった試しのない外部からの戯言ではありますが、確かに音大に行く意味を問われることは多々あります。

「私は音大通ってて良かったですよ!」としか言えなかったあの時の私の代わりに、ここで真剣に打ち返してみせると、私が音大に通って実感した「音大に行く意味」は、何より「人との繋がり」です。

音大と一括りに行っても弦打楽器修があれば、作曲専修、音楽教育専修だってあります。多様な分野から音楽を学ぶ同世代と、現役で活躍されている先生方が集まっている場所。それが音大です。

そして在校生、卒業生問わず、繋がりもとても強い。その強みを活かせるかがひとつの分岐点になるような気がしています。私は残念ながら十分には活かせていないひとりなのですが、そんな私でも卒業後も大切にしたいと切に願う繋がりができた4年間でした。

人との繋がりが仕事に繋がる。それが顕著に表れているのがこの世界なのかなと思う機会が幾度となくありました。

自分の選択を正解にする自信

正直、輝かしい経歴も実力もない私が音楽を続けようなんて世間から見たら過度な自信家、もしくはとんでもないアホかもしれません。

しかし、恐ろしいことに私には自信があります。

ただ、その自信というのは今の実力や能力に対するものではなく、私の今までの選択を正解にする自信です。何事においてもこれからの自分の選択、行動が過去の自分の選択を肯定してくれるものだと私は思っています。

なので、過去に選択したこと、これから選択することをその場で優劣をつけて判断してしまうのはお門違いです。周りの人がとやかく言うなんてもってのほかです。

今後について

そんな私は今までの自分を肯定してあげるために2025年7月からオーストリアヘワーホリに来ています。

音楽をやっていてウィーンなら音楽留学では、と周りが頭を傾げていますがワーホリです。

そしてこの界隈から離れた場でワーホリの話をすると、9割の人が「オーストラリア!」と信じて疑わないのですが、カンガルーもコアラもいません。ヨーロッパです。モーツァルトです。

大学在学中はイギリスへの超短期留学、国内外へのひとり旅、ボランティア活動などを通して多くの人と関わり、世界への視野が広がる経験をしました。そして、そのたびに新卒を武器に就活、就職をする未来に首を傾げ続けました。

そんな私がたどり着いた答え
“ワーホリでオーストリアに行く”

これは私の人生だと舵を切る私と、その選択を理解してくれる家族や先生方、友達。ポジティブに肯定してくれる人に囲まれた環境には心から感謝しています。

ここではワーキングホリデーについて、ヨーロッパでの生活など、のびのびと生きたいように生きるように、書きたいことを書いていきます。

面白がって読んでもらえたら嬉しいです。

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